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202105/12

■今回の一冊■
The Bomber Mafia
筆者 Malcolm Gladwell 出版 Little, Brown

『The Bomber Mafia』

 アメリカ軍による第2次世界大戦末期の東京大空襲は必要だったのか? 女性や子どもを含む民間人を無差別に殺した東京大空襲を検証した歴史ノンフィクションだ。

 虐殺ともいえる空襲を指揮したアメリカ軍の司令官は戦後、日本から勲章を贈られた。そんな日本人も忘れた史実も伝える。広島や長崎への原爆投下に比べ、東京大空襲に対する日本国民の関心の低さを指摘するなど、日本人が読んでも多くの気づきがある良質の作品だ。

 本書はニューヨーク・タイムズ紙の週間ベストセラーの5月16日付ランキング(単行本ノンフィクション部門)において第2位で初登場した。アメリカではよく、第2次世界大戦に題材をとる歴史ノンフィクションがベストセラーとなる。

 こうした類書に共通する主張は「戦争を早く終わらせるには他に選択肢はなかった」というものだ。日本への原爆投下などアメリカ軍による非人道的な軍事行動はすべて、この論理で正当化するのがアメリカのベストセラーのお決まりといえる。

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202105/04

人はなぜ不倫するのか:極刑も恐れず不義に走った江戸時代

人妻を口説き落とす人気の恋愛指南書、その内容とは
2021.5.4(火)市川 蛇蔵

    連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

    https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/1/d/1200mw/img_1d351e058bfc9e16f4e659ebe06b66c2197159.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="399" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/1/d/600mw/img_1d351e058bfc9e16f4e659ebe06b66c2197159.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/1/d/1200mw/img_1d351e058bfc9e16f4e659ebe06b66c2197159.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">男と女の関係の基盤をなしているのは性的な求め合いである

     心のやすらぐよい家庭を築き上げることは、人生にとっての大きな目標の一つであり、よろこびでもある。

     それを実現させるには家族を養う経済力もさることながら、円満な夫婦関係が維持できるか否かがカギとなることは言うまでもない。

     人との出会いにはきっかけがあるものだが、恋愛というものの始まりは常に性欲の発動が関係している。

     しかし、人間とは素直な生きものではないため、一人の男の心が、あるいは一人の女の心が、特定の異性に惹かれ始めた途端、「動機のすり替え」を自分の心の中に起こしがちだ。

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    202104/26

    幕末一の暗殺事件「桜田門外の変」の実相とその意義

    渋沢栄一と時代を生きた人々(7)「井伊直弼③」
    2021.4.26(月)町田 明広

      https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/b/6/1200mw/img_b681fabfc50e5186af0a62a998fb1aee1259110.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="302" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/b/6/600mw/img_b681fabfc50e5186af0a62a998fb1aee1259110.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/b/6/1200mw/img_b681fabfc50e5186af0a62a998fb1aee1259110.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">月岡芳年『江水散花雪』茨城県立図書館 水戸浪士が大老・井伊直弼を襲撃した事件「桜田門外の変」を描いたもの。

      (町田 明広:歴史学者)

      渋沢栄一と時代を生きた人々(5)「井伊直弼①」
      https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64827
      渋沢栄一と時代を生きた人々(6)「井伊直弼②」
      https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64841

      一橋派の敗北と戊午の密勅

       安政5年(1858)6月19日の日米修好通商条約を皮切りに、井伊直弼は同年中にオランダ・ロシア・イギリス・フランスとも調印、安政五カ国条約を締結するに至った。実際の交渉や署名をしているのは岩瀬忠震であるが、最終的な責任を負ったのは上司にあたる直弼であった。これ以降、直弼の政治姿勢は激変する。文字通り赤鬼と化して、反対勢力を粉砕すべく政治権限を最大限に行使することになるのだ。

       6月23日、直弼は堀田正睦・松平忠固の両老中を罷免し、無断調印の罪を被せた。同日に一橋慶喜と対面、違勅による無断調印を詰問された。翌24日に水戸斉昭、尾張藩主慶勝、水戸藩主慶篤は不時登城して、直弼による条約の無断調印を面責した。また同日、松平慶永も登城して老中久世広周に将軍継嗣発表の延期を勧説した。直弼は25日に家茂の継嗣発表を実行し、7月5日に至り、慶喜に登城停止、斉昭・慶永らに隠居・謹慎を沙汰し、ここに一橋派の敗北が確定した。

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      202104/19

      井伊直弼はなぜ「日米修好通商条約」を締結したのか

      渋沢栄一と時代を生きた人々(6)「井伊直弼②」
      2021.4.19(月)町田 明広

        https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/3/5/1200mw/img_35a027bbd5e41281b9200715db9f8ff02554372.png 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="440" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/3/5/600mw/img_35a027bbd5e41281b9200715db9f8ff02554372.png 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/3/5/1200mw/img_35a027bbd5e41281b9200715db9f8ff02554372.png 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">安政5年(1858)6月19日に締結された、日米修好通商条約。(World ImagingCC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で)

        (町田 明広:歴史学者)

        渋沢栄一と時代を生きた人々(5)「井伊直弼①」
        https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64827

        井伊大老の始動と条約問題

         安政5年(1858)4月23日、井伊直弼は大老に就任する。それまでの主席老中である堀田正睦体制からの大転換である。堀田は通商条約の勅許を求めて上京したが、朝廷・孝明天皇の思わぬ拒絶に狼狽した。

         そもそも、朝廷は幕府に大政委任しているはずであり、またその台所は幕府からの援助で成り立っていた。朝廷と一蓮托生とも言える幕府の申出を、いまだかつて拒絶したことがない朝廷の想定外の対応は、幕府にとって大変なショックであったことは疑いない。ただし、孝明天皇は条約勅許に条件を付した。大名の総意であれば、勅許もあり得ると言うことである。

         直弼は大老に就任すると、一橋慶喜ではなく家茂を将軍継嗣と決め、かつ通商条約については、堀田らの幕府専断による締結やむなしの意見を退け、あくまでも孝明天皇からの条件である大名の総意を踏まえた勅許獲得に固執した。直弼は単純な開国派ではなく、むしろ慎重派であり、そして、対外戦争よりも朝廷との軋轢が基となった内乱の発生を一層恐れていたのだ。

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        202104/19

        443年前の今日、落命した「戦国最強」武将の真実

        「謙信越山」著者が上杉謙信を読み直す
        2021.4.19(月)乃至 政彦

          https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/5/f/1200mw/img_5fb642b5fc4e72eb708026fb4101c816382182.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="400" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/5/f/600mw/img_5fb642b5fc4e72eb708026fb4101c816382182.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/5/f/1200mw/img_5fb642b5fc4e72eb708026fb4101c816382182.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">米沢城趾、松岬公園(山形県)の上杉謙信公の像

          (乃至 政彦:歴史家)

          1578年(天正6年)4月19日に亡くなった上杉謙信。群雄割拠の戦国時代、常に戦に勝利し「戦国最強」と謳われるものの、その生涯は様々な「伝説」に彩られ、謎に包まれている。上杉謙信の関東遠征の真相を描き版を重ねる話題の書籍『謙信越山』の著者、歴史家の乃至政彦氏が、謙信の人物像や強さの秘密に迫る。(JBpress)

          上杉謙信はどういう人物か

           フィギュアスケートの羽生結弦選手が大河ドラマ「天と地と」をテーマとする演技を披露したことで、ドラマの主人公・上杉謙信への関心が高まっている。ここでは謙信をよく知らない方たちに、「上杉謙信入門」として、歴史研究の領域を飛び越え、その伝説的側面に光を当てていきたい。

          戦う理想家

           武将たちが領土争いに明け暮れた戦国時代に、私利私欲の戦争を嫌い、秩序を守る「義戦」に生涯を捧げたのが上杉謙信だという。

           事実、謙信は自身の戦いを「順法の弓矢」と定め、「依枯による弓箭(ゆみや)は携えない。ただ筋目をもってどこにでも支援する」と宣言して、各地の小大名を支援する戦いに赴いた。

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          202104/18

          「無謀」と言われた軍艦島の世界遺産登録、その裏側

          仕事をなげうって軍艦島の保存活動に人生かけた男の執念と情熱
            https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/e/1/1200mw/img_e10ab6848b419a373d4f9e0206cca96148387.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="418" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/e/1/600mw/img_e10ab6848b419a373d4f9e0206cca96148387.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/e/1/1200mw/img_e10ab6848b419a373d4f9e0206cca96148387.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">軍艦島内のベルトコンベアの支柱(写真:軍艦島を世界遺産にする会資料、以下同じ)

            ※1回目「石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64178
            ※2回目「今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64267
            ※3回目「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576
            ※4回目「廃墟と化した軍艦島はなぜ世界遺産に登録されたのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64695
            ※5回目「軍艦島の『世界遺産化計画』につながったある出会い」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64702

            「軍艦島を世界遺産にする会」の始まり

             2002年1月、それまで勤めていた会社を退職し、念願のパソコン教室を開いた。その時に、かつて一緒に軍艦島を訪問した一人から「軍艦島を世界遺産にする会」を立ち上げたらどうかという提案を受けた。提案書は書いてみるという。「世界遺産」という言葉に私は戸惑ったが、その前に何かイベントを実施し、その反応を見て考えてみようという軽い気持ちで引き受けることにした。

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            202104/12

            米本土を爆撃した世界唯一の日本人兵を知っているか

            戦後米国から突然の呼び出し 裁かれるのかと思ったら・・・
            2021.4.12(月)花園 祐
              https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/c/1200mw/img_2c5584c2a52d248fe5a8f0230be369ff81413.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="335" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/c/600mw/img_2c5584c2a52d248fe5a8f0230be369ff81413.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/c/1200mw/img_2c5584c2a52d248fe5a8f0230be369ff81413.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">米国オレゴン州の山林(資料写真、Pixabay)

              (花園 祐:上海在住ジャーナリスト)

               第2次大戦における著名な日本人パイロットといえば、岩本徹三や坂井三郎など、海軍に在籍して零戦に搭乗していたエースパイロットらの名がよく挙げられます。しかし筆者にとって最も印象的な大戦中の日本人パイロットを挙げるとしたら、主に偵察用の零式小型水上機を操った藤田信雄(ふじた・のぶお)です。

               藤田信雄は、米国本土の爆撃に成功した、現在に至るまで史上唯一のパイロットです。今回は、藤田信雄が成功させた米国本土爆撃作戦と、戦後におけるその数奇な運命について皆さんに紹介したいと思います。

              https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/400mw/img_8eb6256aededa95edde67975382551f229746.jpg 2x" class="lazy loaded" width="200" height="158" pinger-seen="true" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/200mw/img_8eb6256aededa95edde67975382551f229746.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/400mw/img_8eb6256aededa95edde67975382551f229746.jpg 2x" data-was-processed="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">戦時中の藤田信雄(撮影者不明、出所:Wikimedia Commons)

              「ドーリットル空襲」への報復

               日本軍による米国本土爆撃作戦が企図されるきっかけとなったのは、1942年4月18日に米軍によって行われた、東京を含む日本本土への空爆「ドーリットル空襲」でした。

               1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発しました。開戦序盤は日本軍が米軍を圧倒し、優勢な状態を維持していました。相次ぐ敗戦に米軍内では士気が落ち込んでおり、心機一転を図れるような作戦案が米軍内で検討された結果、日本本土への直接爆撃案が採用されました。

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              202104/12

              武田信玄は本当に高坂昌信と恋人関係にあったのか?

              『甲陽軍鑑』と起請文から読み解く戦国時代の「男色」の真実
              2021.4.12(月)乃至 政彦

                https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/3/5/1200mw/img_35a62325c05ef85a436139825067fdb4188235.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="398" pinger-seen="true" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/3/5/600mw/img_35a62325c05ef85a436139825067fdb4188235.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/3/5/1200mw/img_35a62325c05ef85a436139825067fdb4188235.jpg 2x" data-was-processed="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">甲府駅前の武田信玄像

                (乃至 政彦:歴史家)

                中世、江戸時代の男性同士の関係を指す「男色」や「衆道」。今日でいう「同性愛」、つまり対等な同性同士の恋愛ではなく、年長の男性が年少の男子を愛玩する肉体の関係だった。小説やゲームなどでも描かれることの多い武田信玄と高坂昌信について、上杉謙信の関東遠征の真相を描く話題の書籍『謙信越山』の著者、乃至政彦氏が、一次資料をもとに真相に迫る。(JBpress)

                武田信玄の性的疑惑

                 今回は武田信玄と高坂昌信(春日虎綱)のある疑惑を見てもらおう。世間一般には、2人が性的な関係にあったと思われている。

                 ある硬派な歴史ゲームで、2人に相撲を取らせると、信玄が「ああ、このままずっとがっぷり四つでお主といられれば・・・」と呻き、昌信も「・・・もう昌信はとろけそうなほど殿にまいっております」と囁くようなシーンがある。このやりとりを見たプレイヤーたちが、「あ」と何かを察する顔で黙ってしまうというぐらい有名な関係とされている。

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                202104/12

                英雄?悪人?「安政の大獄」の大老・井伊直弼の実像

                渋沢栄一と時代を生きた人々(5)「井伊直弼①」
                2021.4.12(月)町田 明広
                  https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/c/b/1200mw/img_cbba6650fc53ed5360efaf0aca68d6d31234363.png 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="481" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/c/b/600mw/img_cbba6650fc53ed5360efaf0aca68d6d31234363.png 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/c/b/1200mw/img_cbba6650fc53ed5360efaf0aca68d6d31234363.png 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">井伊直弼の三男で、越後国与板藩第10代藩主の井伊直安が描いた『井伊直弼画像』(Wikipediaより)

                  (町田 明広:歴史学者)

                  イメージが先行する井伊直弼

                   井伊直弼は誰もが知っている、明治維新史における重要人物の一人であることは論を待たない。直弼と言えば、大老として通商条約を締結し、14代将軍を徳川家茂にすることで将軍継嗣問題に片を付けた。そして、反対派を安政の大獄で弾圧したものの、桜田門外の変で暗殺された激動の人生を送った人物として知られる。その経緯は間違いないものの、どのような思いや判断からそうした事態を招いたのか、そう問われると途端に雲行きが怪しくなるのではないか。

                   直弼は、非常に評価が分かれる人物でもある。一身に責任を背負いながら、通商条約を結び日本を開国に導き、近代日本の礎を作り、日本を植民地化から救ったと英雄視される。一方で、安政の大獄での苛烈極まりない処断から、血も涙もない専制的な悪人のイメージも付きまとう。読者は、どちらの直弼を実際の人物として想像するだろうか。

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                  202104/10

                  軍艦島の「世界遺産化計画」につながったある出会い

                  閉山以来、25年ぶりの上陸で芽生えた軍艦島への想い
                    https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/9/5/1200mw/img_95cf075a94d2ca8edd7cb5130a584deb143312.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="389" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/9/5/600mw/img_95cf075a94d2ca8edd7cb5130a584deb143312.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/9/5/1200mw/img_95cf075a94d2ca8edd7cb5130a584deb143312.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">端島と長崎を結んだ定期船。最盛期には9往復していた(写真:軍艦島を世界遺産にする会資料、以下同じ)

                     ※1回目「石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64178
                     ※2回目「今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64267
                     ※3回目「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576
                     ※4回目「廃墟と化した軍艦島はなぜ世界遺産に登録されたのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64695

                    四半世紀ぶりの同窓会で感じたこと

                     平成11年(1999)秋、19歳で島を離れて以来、25年ぶりに端島中学校の同窓会を長崎で開いた。準備に約半年を要した。4半世紀前に別れた同級生の居場所を探すために時間を要したからだ。きっかけは、前年に開いた長崎在住の同窓生の集まりで出た「そろそろ俺たちも45歳になるから、一度、25年前に別れた同級生を集めて同窓会をしてみたい」という言葉だった。

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