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202105/04

人はなぜ不倫するのか:極刑も恐れず不義に走った江戸時代

人妻を口説き落とす人気の恋愛指南書、その内容とは
2021.5.4(火)市川 蛇蔵

    連載:少子化ニッポンに必要な本物の「性」の知識

    https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/1/d/1200mw/img_1d351e058bfc9e16f4e659ebe06b66c2197159.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="399" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/1/d/600mw/img_1d351e058bfc9e16f4e659ebe06b66c2197159.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/1/d/1200mw/img_1d351e058bfc9e16f4e659ebe06b66c2197159.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">男と女の関係の基盤をなしているのは性的な求め合いである

     心のやすらぐよい家庭を築き上げることは、人生にとっての大きな目標の一つであり、よろこびでもある。

     それを実現させるには家族を養う経済力もさることながら、円満な夫婦関係が維持できるか否かがカギとなることは言うまでもない。

     人との出会いにはきっかけがあるものだが、恋愛というものの始まりは常に性欲の発動が関係している。

     しかし、人間とは素直な生きものではないため、一人の男の心が、あるいは一人の女の心が、特定の異性に惹かれ始めた途端、「動機のすり替え」を自分の心の中に起こしがちだ。

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    202104/18

    「無謀」と言われた軍艦島の世界遺産登録、その裏側

    仕事をなげうって軍艦島の保存活動に人生かけた男の執念と情熱
      https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/e/1/1200mw/img_e10ab6848b419a373d4f9e0206cca96148387.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="418" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/e/1/600mw/img_e10ab6848b419a373d4f9e0206cca96148387.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/e/1/1200mw/img_e10ab6848b419a373d4f9e0206cca96148387.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">軍艦島内のベルトコンベアの支柱(写真:軍艦島を世界遺産にする会資料、以下同じ)

      ※1回目「石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64178
      ※2回目「今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64267
      ※3回目「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576
      ※4回目「廃墟と化した軍艦島はなぜ世界遺産に登録されたのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64695
      ※5回目「軍艦島の『世界遺産化計画』につながったある出会い」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64702

      「軍艦島を世界遺産にする会」の始まり

       2002年1月、それまで勤めていた会社を退職し、念願のパソコン教室を開いた。その時に、かつて一緒に軍艦島を訪問した一人から「軍艦島を世界遺産にする会」を立ち上げたらどうかという提案を受けた。提案書は書いてみるという。「世界遺産」という言葉に私は戸惑ったが、その前に何かイベントを実施し、その反応を見て考えてみようという軽い気持ちで引き受けることにした。

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      202104/12

      米本土を爆撃した世界唯一の日本人兵を知っているか

      戦後米国から突然の呼び出し 裁かれるのかと思ったら・・・
      2021.4.12(月)花園 祐
        https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/c/1200mw/img_2c5584c2a52d248fe5a8f0230be369ff81413.jpg 2x" class="lazy not-trans loaded" width="600" height="335" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/c/600mw/img_2c5584c2a52d248fe5a8f0230be369ff81413.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/c/1200mw/img_2c5584c2a52d248fe5a8f0230be369ff81413.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">米国オレゴン州の山林(資料写真、Pixabay)

        (花園 祐:上海在住ジャーナリスト)

         第2次大戦における著名な日本人パイロットといえば、岩本徹三や坂井三郎など、海軍に在籍して零戦に搭乗していたエースパイロットらの名がよく挙げられます。しかし筆者にとって最も印象的な大戦中の日本人パイロットを挙げるとしたら、主に偵察用の零式小型水上機を操った藤田信雄(ふじた・のぶお)です。

         藤田信雄は、米国本土の爆撃に成功した、現在に至るまで史上唯一のパイロットです。今回は、藤田信雄が成功させた米国本土爆撃作戦と、戦後におけるその数奇な運命について皆さんに紹介したいと思います。

        https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/400mw/img_8eb6256aededa95edde67975382551f229746.jpg 2x" class="lazy loaded" width="200" height="158" pinger-seen="true" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/200mw/img_8eb6256aededa95edde67975382551f229746.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/8/e/400mw/img_8eb6256aededa95edde67975382551f229746.jpg 2x" data-was-processed="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">戦時中の藤田信雄(撮影者不明、出所:Wikimedia Commons)

        「ドーリットル空襲」への報復

         日本軍による米国本土爆撃作戦が企図されるきっかけとなったのは、1942年4月18日に米軍によって行われた、東京を含む日本本土への空爆「ドーリットル空襲」でした。

         1941年12月、日本軍による真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発しました。開戦序盤は日本軍が米軍を圧倒し、優勢な状態を維持していました。相次ぐ敗戦に米軍内では士気が落ち込んでおり、心機一転を図れるような作戦案が米軍内で検討された結果、日本本土への直接爆撃案が採用されました。

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        202104/03

        廃墟と化した軍艦島はなぜ世界遺産に登録されたのか

        軍艦島物語(4)人々の心を打つ超越した軍艦島の記憶
          https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/f/1200mw/img_2fdce9d699ecdec33377f36eae95de6529871.jpg 2x" class="lazy loaded" width="600" height="460" srcset="https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/f/600mw/img_2fdce9d699ecdec33377f36eae95de6529871.jpg 1x,https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/2/f/1200mw/img_2fdce9d699ecdec33377f36eae95de6529871.jpg 2x" data-was-processed="true" pinger-seen="true" style="border-style: none; vertical-align: top; opacity: 1; transition: opacity 0.5s ease 0s;">軍艦島を遠く望む(写真:軍艦島を世界遺産にする会資料、以下同)

           ※1回目「石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64178
           ※2回目「今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64267
           ※3回目「『地獄の島』の汚名を着せられようとしている軍艦島」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64576

          人々の暮らしを守り続けた軍艦島

           記憶から失われたはずの島が、人々の注目を浴び、世界遺産となった。なぜ人々は島に関心を寄せるのだろうか。

           軍艦島こと「端島」は、過酷な条件の中、知恵を絞り、大海の藻屑になる運命の波をくぐりぬいてきた逞しさがある。人生そのものといってもいいその逞しさに私は魅了されていたのかもしれない。

           石炭を掘るただそのために存在し、その資源が優良だともてはやされ、人が集まり街が形成された。時代の寵児になったのだ。

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          202103/16

          花見バス、乗車前に抗原検査 奈良・吉野町が来月実施

          4版1面 吉野山の桜見頃
          「一目千本」と称され、満開になるとピンクに色づく吉野山=平成30年4月、奈良県吉野町(本社ヘリから、沢野貴信撮影) 
           山肌一面に桜が咲き誇り、「一目千本(ひとめせんぼん)」とも称される桜の名所・吉野山を安心して訪れてもらおうと、地元の奈良県吉野町が、備蓄する抗原検査キットの一部を同町を訪れる花見バスツアーの客に提供することを決めた。全国で桜の開花の一報が相次ぐ中、満開シーズンを前に、感染防止対策の徹底をアピール。町を挙げてコロナ下での安全な観光スタイルを提案する。(田中一毅、前原彩希)
          検査キット4000人分確保
           抗原検査キットを組み込んだツアーは、4月2日と7日、同町の観光振興に取り組む一般社団法人「吉野ビジターズビューロー」と協力して試験的に実施する。
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          202102/28

          今も色鮮やかによみがえる軍艦島での日常生活

          高層アパートの内部、トイレ、風呂、学校生活、島のナイトライフ
            現在の軍艦島(写真:HEMIS/アフロ)

             軍艦島で最後に私が住んでいたのは、65号棟最上階の9階だった。正式名称は「報国寮」で、昭和33(1958)年に10階建の新65号が建設されるまではL字型で、屋上には端島幼稚園と保育園があった。島一番のマンモス棟で、昭和40年代には約340世帯が暮らしていた。その後、コの字型となった建物の下には公園があり、一日中、子供たちの声が聞こえる賑やかな場所だった。

             65号棟は各部屋のベランダが向き合う構造で、9階の部屋のベランダから各世帯のベランダが見え、夜になって電灯が灯った各部屋の生活が手に取るように見えた。潮風が吹いていない日のベランダはファッションショーのように色とりどりの洗濯物が下がっていた。厚手のカーテンを引くことはなく、互いの生活が見えていたが、誰も隠そうとはしなかった。あえて覗くようなことはしないし、プライバシーを気にすることもなかった。

             父はこの張り出しのベランダに畳を一枚敷いて、私の部屋を造ってくれた。島の平均的な家族構成は親子5人で、多いところは8人。六畳と四畳半と台所程度の狭い空間に小部屋や小屋を造って効率よく暮らしていた。今も船からその名残が垣間見える。

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            202102/15

            【2/18(木)まで限定公開】日本が清に戦争を仕掛けると言った時、世界は笑った。しかし、実際に戦争が始まると…



            202102/05

            『鬼滅の刃』鬼だけでない、鬼滅隊存亡の危機とは

            歴史家が考える鬼滅の刃②鬼殺隊の創設と改革に関する仮説(後)
            2021.2.5(金)乃至 政彦

              写真:西村尚己/アフロ

              (乃至 政彦:歴史家)

              乃至政彦『謙信越山』

              丁寧な考察と鋭い視点で話題を読んだ連載をまとめた書籍『謙信越山』を発売する歴史家、乃至政彦氏による大人気漫画『鬼滅の刃』を考察するシリーズ第2弾。

               本稿では、『鬼滅の刃』に登場する「鬼殺隊」という鬼狩り組織が、いつ成立したかを見ていこう。※記事中『鬼滅の刃』のネタバレを一部に含みます。ご注意ください

               

               

              ◉歴史家が考える鬼滅の刃①『善逸伝』の一考察(前編)
              ◉歴史家が考える鬼滅の刃①『善逸伝』の一考察(後編)
              ◉ 歴史家が考える鬼滅の刃②鬼殺隊の創設と改革に関する仮説(前)

              鬼殺隊の活動規模について

              前編の続き)作中の鬼殺隊は、隊士数「数百名」という大きな組織である。その運用にはかなりの資金が必要だ。総資産の具体的金額を探ることはできないが、その経済力がどれほどの規模にあったか想像することはできる。

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              202102/03

              『鬼滅の刃』鬼殺隊が政府非公認になったのはいつ?

              歴史家が考える鬼滅の刃②鬼殺隊の創設と改革に関する仮説(前)
              2021.2.3(水)乃至 政彦

                写真:西村尚己/アフロ

                (乃至 政彦:歴史家)

                乃至政彦『謙信越山』

                丁寧な考察と鋭い視点で話題を呼んだ連載をまとめた書籍『謙信越山』を発売する歴史家、乃至政彦氏による大人気漫画『鬼滅の刃』を考察するシリーズ第2弾。
                 

                 本稿では、『鬼滅の刃』に登場する「鬼殺隊」という鬼狩り組織が、いつ成立したかを見ていこう。※記事中『鬼滅の刃』のネタバレを一部に含みます。ご注意ください

                 

                ◉歴史家が考える鬼滅の刃①『善逸伝』の一考察(前編)
                ◉歴史家が考える鬼滅の刃①『善逸伝』の一考察(後編)

                鬼殺隊の成立時期

                 人気漫画『鬼滅の刃』には、考察したくなるところがたくさんある。今回は「殺鬼隊」の歴史を考えてみよう。

                 作中で明記されてはいないが、鬼舞辻無惨の滅殺を願う彼ら鬼狩りが千年以上暗闘している歴史と、大正時代に「政府非公認」なのに目立つ隊服を着て、帯刀する様子から、明確な組織化は、意外にも明治以降なのではないかと推測される。

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                202101/31

                飛田新地、築90年超の廃屋から出てきた“お宝”

                昭和初期の遊廓建築の痕跡を15枚の写真で振り返る(後編)
                2021.1.31(日)篠原 匡
                  (写真:Retsu Motoyoshi、以下同)

                  前編から読む)

                  (* 本記事は多数の写真を掲載しています。配信先のサイトで写真が表示されていない場合はこちらでご覧ください。
                  http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/63661

                  「にいちゃん、いい子おるよ」という遣り手婆の呼び込みと、赤絨毯の上がり框(かまち)に座った女性の嬌声が響く飛田(とびた)新地の片隅に、往事の雰囲気を伝える廃屋が遺されている。「満すみ(ますみ)」だ。内部は老朽化が進んでおり、ところどころ床が腐っている。だが、一歩中に足を踏み入れれば、「飛田遊廓」と呼ばれた時代の記憶が色鮮やかによみがえる。

                   飛田遊廓の前身となる遊廓はもともと今のなんばにあったが、明治45(1912)年に起きた「ミナミの大火」によって全焼し、今の飛田新地の場所に移設された。その際に、デベロッパーが遊廓全体を計画的に開発したため、今の「鯛よし百番」に残る豪壮な木造建築が整然と並ぶ独特の景観を生み出すことになった。

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